よくある話

よくある日常。

W杯 日本×コロンビア

W杯開催期間中なので、サッカーの話でもしようと思う。

 

というか、わたしはサッカークラスタ

Jリーグの試合もユニフォームを着込んで見に行く。

自分では、そこそこのサポーターだと思っている。

 

なので、先日のコロンビア戦はしびれた。

3戦全敗が予想される中、わたしの愛する香川くんがPKを決め、大迫が半端ねえ。

2-1で勝利するなんて、誰が予想しただろうか。

ケイスケホンダくらいかと思う。

 

喜ぶときは素直に喜ぼう。

FIFAランクも格段に上のコロンビアに初戦で勝利した。

前回のW杯では1-4で惨敗だっただけに、よくやった!と手放しで言っていい。

 

世の中の手のひらの返し具合が笑わせてくれる。

この間までは、W杯開催するんだっけ?くらいの盛り上がり方。

なんとなく、過去の実績のあるそれなりのメンツを集めて特番とか特集とかやってはいたけれど、

全員が「まあ予選リーグ3戦、あんまりぼろ負けしたくないね」くらいのテンションで、

ロシアで中継してきまーすとか、PV会場でこんなイベントやりまーすとか、宣伝だけして終わり。

 

それが、大迫半端ねぇの再ブーム到来。

おそらく9年越しの流行語大賞ノミネートだろう。

滝川二高の彼も、こんなかたちでYouTubeが再生され、連日報道されるなんて思いもしなかっただろうし、

現在は、銀行員だというから、もはやそっとしておいて欲しいかもしれない。

 

そして、一勝した瞬間から「決勝トーナメント進出の確率が8割を超える」とか「セネガルに負ける気がしない」くらいの

ビッグマウスが飛び出し続けるマスコミ。

ケイスケホンダか、おまいらは。

 

浮き足立つ気持ちはわからなくない。

しかしまだ一勝。されど一勝。

コロンビア相手に勝ち点3を取ったのは、非常に大きいのはまちがいない。

次の試合こそ慎重に。

マスコミは。負けてしまうかもしれませんけどね、全力でぶつかるんでね。くらいの報道で。

選手は。負ける気がしない魂を持って、かつ落ち着いて冷静に。

 

大迫、半端ねえ。

 

 

一番浮き足立っているのはわたしかもしれない。

一段のぼったつもりだった

ひとつがんばって一段登ったチャレンジが、けっきょく実を結ばなかった。

 

やってみよっかなーと軽い気持ちで始まったことではあった。

それが思わぬ形で前に進み、あれ?わたしできちゃう?と思わされたけれど、

いわゆる最終選考でダメだった、ってことでした。

 

とちゅう、あれやこれやと指示があり、それに対応する努力はしたとは思う。

時間も使ったし、アタマも使った。

 

だがしかし。

やっぱり行き当たりばったり的に踏み出した一段だったから、まだまだ準備が足りなかった。

アタマもまだまだ使える部分を残していて、しまったァと思った。

 

でも、やりきったけどダメだった、じゃないってことは、まだまだやるべきことがある。

チャレンジはまだまだ続くんだよ。

誠意ってなんだ?

最近特に多い謝罪会見。

政治家、芸能人、どこかの市長や監督。

そして今日は、一般の大学生が会見した。

 

彼が、スポーツの試合の中でしてしまったのは反則行為で、退場処分になった。

反則行為かそうでないかのギリギリの攻防とか、ここは反則覚悟で止めに行くとか、

素人にも理解出来る話はあるが、今回の彼の行為はそのどちらでもなく、

怪我をさせること=クォーターバックを壊すこと だったので、大きな問題になった。

 

目論見通り、相手選手は怪我をした。

ただ、もう練習には参加できているというから、軽傷だったことだけが救いだ。

 

加害者となった選手は、ありのままを話していたと思う。

そう思わせる筋道通った会見だった。

最初に謝罪をして、誰からどのような指示があったにせよ、違反行為をした自分が悪いと話し、反省していると述べた。

そして、実はこんな経緯で違反行為をしたのだ、けれどそもそも自分の弱さが原因なのだと伝えた。

とても誠意ある態度が感じられた。

 

彼は20歳で、60いくつのお偉いさんたちに比べると、

自分のしたことを素直に認め、悪いことは悪いと反省する ことができる。

 

歳を重ねたお偉いさんたちは、

自分がこうしたのは、自分のせいではなくてこれこれこんな理由だからなんだ、

え?そんな都合の悪い話は忘れました、はいはい申し訳ありません

みたいなことを言う。

 

これまでの人生で、責任転嫁することを覚えてしまった。

素直に悪を認めると、損をすることを覚えてしまった。

心が汚れた大人の誠意は、汚れを落として初めて見える。

 

彼に違反行為の指示をしたであろう元監督は、チームの監督を辞するだけでなく、大学の権威ある立場という汚れを落としてから

再度、この問題に向き合って欲しい。

出会いとか知り合うとか(その3)

運もタイミングもあったと思う。

ふつうに家事ができる、ちょっとだけ料理上手な奥さんにもママにもなれないことになった。

正確に言えば、先送りになった。

いや、先送りになったし、もうならないかもしれない。

でも、わたしは手作りパンの本と出会えたことがきっかけで、自分の人生はもっともっとやりたいことをやっていいんだと思えた。

 

寿退職してしまったので仕事も、恋愛についても、もう一度すべてが再スタートすることになるタイミングで

手作りパンの本、その著書の先生、先生のもとに集まる熱を持った方々と出会えたわたしは運がいい。

 

再スタートのためにいくつか準備しているけれど、

この出会いがなければ「わたしには無理だな」と思ってやらなかっただろうことを、いくつも一段踏み出している。

 

一歩じゃなくて一段。

前に進むだけじゃなく、今までより高く足を上げて、のぼっていくんだよ。

出会いとか知り合うとか(その2)

手作りパンの著書のその方は、明るくて声が大きくてテンションが高くて、何よりパワーに溢れている。

お顔はネットや写真で見られるけれど、実際お会いすると、とにかく若い。

 

人生100年時代。今からまだまだやりたいことがあって、何でもできる」

 

口先だけでなく、手作りパンの本をヒットさせて、やりたいことをやってきた自信とノウハウに満ちた言葉だった。

その方のまわりには、パンの教室をやりたい、カフェを開きたい、お店を持ちたいなど、

夢を持って実現させたいと思っている人がたくさん集まってきていた。

 

会社員としてへとへとまで働いて退職して結婚して専業主婦になって、

自宅でパンなんて焼けるようになった!で満足しそうなわたしには、世界が違うと思った。

わたしはそもそも、家事なんて苦手〜とか言っているタイプだったので、

家庭に入ってみたら、料理洗濯掃除がそこそこできる自分を「やればできる子」と言っていて、

その枠を大きくはみ出す気などさらさらなく、料理上手な奥さん、もしくは料理上手なママにでもなれれば、それ以上なりたいものなんてなかった。

夫もそれを望んでいたし。

出会いとか知り合うとか(その1)

カレカノがいない男子あるいは女子が言う

「出会いがない」

は、何も恋の話だけではなく、

新しいことにチャレンジしようと思った時とか、

何か趣味を始めようと思った時にもあてはまる。

 

出会いがなければ、出会おうとすること。

恋にも、それ以外にも通じる、まずは第一歩。

 

わたしは、婚姻期間中だったので(今も だけど)

恋ではなく新しい趣味として、一冊の手作りパンの本に出会った。

 

出会いは偶然だった。

あまり積極的に出会ったわけではないうえに、

パンなんて買った方がおいしいのだから、わざわざ手間暇かけて作るものでもないと思っていた。

でも、あれやこれやのうちに、うっかり手作りパンにハマってしまった。

 

手作りパンのおもしろさももちろんだけれど、

そのパンの本の著書の方に刺激されたのも大きい。

自分で自分を幸せにするための話

さっき「王様のブランチ」で作家 羽田圭介が言ってました。

 

「恋人や妻や夫、そういった人たちは自分を幸せにしてくれるわけではない。

自分を幸せにできるのは自分だ。」

 

これなんだよね。

わたしはこの発想に気付くまで、この発想の意味を理解できるまで37年かかった。

 

常識や経験を言い訳にして、「恋人や夫」は自分の幸せのために存在してくれるよう願って生きていた。

勝手に期待して、そうしてくれるものだと決めつけていた。

 

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茨城県日立市 御岩神社にある三本杉です。

恋人や夫や妻、友達や先輩や後輩から、パワーをもらうことはできるから、

パワースポットなんていうのも世間では教えてくれてるから、

自分が幸せになるための力を付けて、自分で幸せになることなんだよ。